本日も快晴です。

(第1駐車場のもみじの木)
鳥のさえずりもよく聞こえます。
さて、私事ですが、先日、朗読21(第13回)という作家の阿刀田高氏主宰の朗読会の講演に行って来ました。
私の母親が、長く地域の朗読のサークルの会員になっていて、ボランティアで学校や福祉施設で読み聞かせをしている為、私も興味があります。
実は、朗読21は、私にとって、2回目。
今回の演目は、
芥川龍之介 「秋」
ご自身阿刀田高氏の「影酒場」
などで、それぞれ内容が深かったり、ユニークでおもしろかったです。
そもそも再び朗読21に行きたいと思った理由は、前回、第8回目の朗読の演目
菊池 寛 『入れ札』
の内容に大変感銘を受けたからでした。
そんなことを思い出しつつ、先日、はじめて菊池寛の短編集を買いました。
その本の中の
『極楽』
という短編……。
おもしろかったです!!(^^)
あらすじは、以下のようになっています。
~~~
ある老女が亡くなりました。
その老女は生前とても信仰が篤く、西本願寺へのお参りを欠かしませんでした。
亡くなって極楽へ往生すると、その様子はお経に説かれている通りで「ほんとうに極楽じゃ。針で突いたほどの苦しみもない」と喜び、また、先に亡くなった夫の「宗兵衛」にも再会し、平穏な日々を過ごしていきます。
しかし、あまりにも平穏な日々は、だんだんと退屈となって、耐えられなくなってきます。
「宗兵衛」に何回も同じことを聞きます。「いつまでここにいるんじゃろ」「10年20年なりいると、別の世界へいけるじゃろ」と。
そして「宗兵衛」はその度に「何時までも、何時までも、何時までもじゃ」「極楽より外に行くところがあるかい」と答えます。
老女は、ある時ふと気がついたように、「地獄はどんな所かしらん」と聞きます。
すると「宗兵衛」は嬉々として、「恐ろしいかも知れん。が、ここほど退屈はしないだろう」と答え、その後、極楽の人たちは、ただひとつの退屈紛らわしとして、自分たちがいけなかった地獄を想像し、そして地獄について語り合い続けるということで結ばれています。
~~~
巻末の「菊池寛」の解説は、この作品について「極楽というものが存在したら、いかに無味単調であろうかという疑問である」とあります。
極楽というのは極楽浄土のことです。
人間は死んだらどこへ行くのか。浄土教仏教に限らず、一般的に死んだら極楽という、素晴らしい世界として浄土がイメージされてきました。善いことすれば極楽、悪いことをすれば地獄という表現で受け止められてきたのです。そういう状況の中で、この短編は極楽浄土を死後の世界としてきた仏教に対する「菊池寛」からの批判の書でもあり、本当の仏教の教え、浄土とは何を意味しているのかという事を「菊池寛」は問いかけているのではないかと思いました。


(第1駐車場のもみじの木)
鳥のさえずりもよく聞こえます。
さて、私事ですが、先日、朗読21(第13回)という作家の阿刀田高氏主宰の朗読会の講演に行って来ました。
私の母親が、長く地域の朗読のサークルの会員になっていて、ボランティアで学校や福祉施設で読み聞かせをしている為、私も興味があります。
実は、朗読21は、私にとって、2回目。
今回の演目は、
芥川龍之介 「秋」
ご自身阿刀田高氏の「影酒場」
などで、それぞれ内容が深かったり、ユニークでおもしろかったです。
そもそも再び朗読21に行きたいと思った理由は、前回、第8回目の朗読の演目
菊池 寛 『入れ札』
の内容に大変感銘を受けたからでした。
そんなことを思い出しつつ、先日、はじめて菊池寛の短編集を買いました。
その本の中の
『極楽』
という短編……。
おもしろかったです!!(^^)
あらすじは、以下のようになっています。
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ある老女が亡くなりました。
その老女は生前とても信仰が篤く、西本願寺へのお参りを欠かしませんでした。
亡くなって極楽へ往生すると、その様子はお経に説かれている通りで「ほんとうに極楽じゃ。針で突いたほどの苦しみもない」と喜び、また、先に亡くなった夫の「宗兵衛」にも再会し、平穏な日々を過ごしていきます。
しかし、あまりにも平穏な日々は、だんだんと退屈となって、耐えられなくなってきます。
「宗兵衛」に何回も同じことを聞きます。「いつまでここにいるんじゃろ」「10年20年なりいると、別の世界へいけるじゃろ」と。
そして「宗兵衛」はその度に「何時までも、何時までも、何時までもじゃ」「極楽より外に行くところがあるかい」と答えます。
老女は、ある時ふと気がついたように、「地獄はどんな所かしらん」と聞きます。
すると「宗兵衛」は嬉々として、「恐ろしいかも知れん。が、ここほど退屈はしないだろう」と答え、その後、極楽の人たちは、ただひとつの退屈紛らわしとして、自分たちがいけなかった地獄を想像し、そして地獄について語り合い続けるということで結ばれています。
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巻末の「菊池寛」の解説は、この作品について「極楽というものが存在したら、いかに無味単調であろうかという疑問である」とあります。
極楽というのは極楽浄土のことです。
人間は死んだらどこへ行くのか。浄土教仏教に限らず、一般的に死んだら極楽という、素晴らしい世界として浄土がイメージされてきました。善いことすれば極楽、悪いことをすれば地獄という表現で受け止められてきたのです。そういう状況の中で、この短編は極楽浄土を死後の世界としてきた仏教に対する「菊池寛」からの批判の書でもあり、本当の仏教の教え、浄土とは何を意味しているのかという事を「菊池寛」は問いかけているのではないかと思いました。
