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千葉県鴨川市の日蓮聖人の足跡をたどる旅行記を書いております。

引き続きまして、鏡忍寺へやってまいりました。

このお寺は、日蓮聖人四大法難の一つ、小松原法難ゆかりのお寺です。

弘長3年(1263年)、聖人は伊豆流罪の地、伊東から鎌倉へ戻りました。

その後、故郷の安房の実家へ戻り、生母とも久しぶりに対面、父のお墓参りをされました。

安房で布教活動をしており、天津の信徒である工藤吉隆邸に招かれました。

文永元年(1264年)11月11日。

その道中である小松原で、東条影信率いる念仏信者一団に襲撃されました。

聖人一行は抵抗しましたが、弟子の鏡忍坊と、駆けつけた工藤吉隆が命を落としました。

聖人も額を斬られ、左手を骨折する等、重傷を負われましたが、命からがら逃げ延びることが出来ました。


弘安4年(1281年)、この地に、工藤吉隆の子、日隆がお寺を建立します。

後に、鏡忍坊の名に因み、小松原鏡忍寺と改めました。

↓こちらが入口の山門
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↓槇(まき)の御神木
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↓2008年(平成20年)に落慶された祖師堂
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この鏡忍寺と大法寺は密接な関係があります。

当山の祖師像(日蓮聖人像)は、聖人が小松原法難の折の袈裟かけの松で作られたと伝えられており、その縁あって、当山の御会式法要は、小松原法難会が行われる11月11日に行うのが伝統となっております。

それともう一つ、日蓮聖人像には冬場、綿帽子を被せるのが日蓮宗の特徴です。

この綿帽子は、小松原法難で受けた額の傷が冬場痛むとの事で、聖人像へ綿帽子を被せます。

綿帽子を取る時期ですが、当山では本日の4月28日、立教開宗の聖日と決まっております。

綿帽子を被せる時と外す時、私は聖人への愛情を感じます。

例えるなら、屋外のお地蔵さんに笠を付けるようなものでしょうか?

当山の水子地蔵様も、冬場は毛糸の帽子、夏な夏用の帽子にお召し替えです。(笑)

こんなところに、私達日本人の優しさが表れているんじゃないでしょうか?

安房小湊を始め、聖人所縁のお寺をお参りしてまいりました。

その気になれば行けるもんですね。(笑)

初心を忘れず精進しようと思った次第です。

さて、本日も大きな声でお題目をお唱え致しましょう!

南無妙法蓮華経

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以上で旅行記は終わりです。

お読み頂きありがとうございました。(^人^)

yama







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